カガミノイズミ

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心の鏡

そして2016年大晦日の思い

そして大晦日ですね。
2016年も無事終えることができました。
本当にありがたいことと深く感謝しています。

無事ではなかった人も、日本にも世界にもたくさんいらしたこと
私も少しはわかっているつもりです。
様々な立場の様々な人々にも思いを馳せつつ、
ごめんなさい、許してください、ありがとうございます、愛しています、
と繰り返し祈りつつ、また新しい年を迎えます。


私の最近の課題は、認知症が日々悪化している父との関係のことですかね。
どんどん赤ちゃんに帰っていく父に、
世間ではよく聞いてきたことではありますが私もやはり、
時に情けなく思ったり、苛立ったり、果ては怒鳴ったり罵ったりまで
してしまうことが増え、自分の未熟さ、人としての至らなさを
しみじみ痛感する昨今なのです。

父を尊敬する気持ち、育ててくれて延々と養ってきてくれたことに
感謝する気持ちは勿論あるのに、
同時にどうしようもなく許せない気持ち、軽蔑するような気持ちも
幼いころからずっと消せずに持っていて。
すっかり幼児帰りした父に対峙する時、そんな燻っていた思いが
溢れ出てしまうことがあって、今更ながら困惑しているのです。

父がいてくれるから私は生きて居られてる。
身に沁みてわかっていて、その苦労に思いを馳せること幾多であるし、
私だってまがりなりにも社会人として20年以上働いてきて、
少しくらいはその大変さも想像はつくのではありますし、
だから父に対して多大な尊敬と感謝の思いは間違いなく持っているのです。

でも、そんな大恩を負う身でありながら、
その父を軽蔑する、バカにしてしまう私・・もいて、
どれほどの傲慢者なのかと、空恐ろしくなり、天罰を恐れているのです。

なんだろう。
幼児帰りした父を見ると、長年父に感じて来た父の欠点のようなものが
今更ながら拡大して感じられて、父のそういう部分に傷つけられた、と感じていた
過去の私の気持ちが、生々しく蘇ってしまうのかもしれません。
またそれは、私自身の一部を見せられているようで、
だから余計に傷つくし、見たくない、と思ってしまって苛立つのかも。

なんかな、このまま父のことを嫌いな部分を、
嫌いなままで父が死んじゃってもいいのかな、って、私大丈夫かな、って、
まだ自分でハッキリわかってない感じなのですよね。

まだ全然、父との関係の気持ち、整理も分析もできてない感じがしてて、
でも、日々どんどん、苛立ちに身を任せる方向に突き進んでいるような今日この頃で、
自分でもまずいな、って、思っているのですよね。

感謝は間違いなく感じてる。大変感謝してる、と思ってる。
でも本当に感謝している人に対して、まがりなりにも軽蔑する気持ち、
嫌うような気持ちって、同時に持てるものだろうか?とも思うのです。
そういう気持ちを持ってしまってるってことは、
本当には感謝できてないってことなのかな????(((゜д゜;)))って。 
だとしたら、私はやっぱりとてつもなく傲慢で鼻持ちならない恩知らずってことになり、
それってとんでもなく大きなしっぺ返しを食らうのではないか、って
なんだか自分のことばっかりみたいだけど思ってしまうのです。
やっぱり私は「我よし」の傲慢ちきなのかなぁ(iДi)って。


今日は大晦日、2016年の最後の日でもあり、
最近特に私の中でひっかかっている問題について、
懺悔・・というか告白・・というかを、自分自身にしてみました。
父との時間があとどれくらい残されているかわかりませんが、
来年も日々、なるべく避けないで感じて考えて、研究してみたいと思っています。

そして自分自身の心身の調和を図ることも益々日々気を付けて、
一日一日を一生懸命生きたいと思います。
しょっちゅう言っていますがやはり何度でも言いますが、
私の魂と直結して連携して生きること(かんながら)を、
片時も欠かさず意図して生きたいと、益々強く思っています。

2016年も私を生かしてくださった宇宙のすべてに感謝します。
2017年も、生きとし生けるもの、ありてあるものすべてが、
一瞬ごとに幸せとお恵みを感じることができますようにと祈り続けます。













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by lotus-fountain | 2016-12-31 23:22 | 想い・気づき・共感など